どう自分の力を付けていくかとか、そんな話
おととい(2006年2月9日)の記事 「しばし休息」 の初めの方でグダグダ書いたけれど、 ちょうどタイミング良く FPN の徳力さんという方が似たようなことを書いていて、感慨深かった。
そこから一部引用。
以前誰かが、これまでは学校のクラスとか会社の職場とかで、 ある程度井の中の蛙から徐々に外に出ながら成長していくというプロセスができたのに、 今はネットでいきなり世界戦になってしまうので、 実は議論の修行の場がなくなってるんじゃないかみたいな話をされてたと思います(後略)
うーん、たしかにそういう指摘があることはどこかで見た覚えがある(多分これもFPN内)。 ただ実際のところ、この指摘は正しいのか正しくないのか?
僕には、「徐々に外に出ながら成長していくというプロセス」というものが現実に存在する(した)のかどうか、 少し怪しい気がしている。 議論が上手い人ってのは「いきなり世界戦」になったとしてもそれなりに上手くやって成長し、 いずれはその「世界レベル」に到達することができる。 そうでない人はいくら段階を経たとしても「世界レベル」には辿り着けない。 これが僕の印象。
それじゃあ夢が無いというか、元から議論の才能が無い人はどうするんだよ、諦めるしかないのか? という意見(反論)があるかもしれない。 僕は、自分の得意な分野で自分の力を出すのが最高のありかただと思っているので、 無理に適正の無い人が背伸びして対抗しようとしたって、 いずれはほころびが見えてくるだろうから意味が無いと考えている。
ん?何か論点がずれているか。 そもそも議論の能力というのは、本当に活躍している人間とか思考能力のある人間は、 全て持っているべきものなのかもしれない。
僕も実際のところ、「世界レベルの議論」でギリギリでも良いから対抗したいとは思っている。 そのための鍛錬の場として、ブログ執筆を始めたはず。 先の紹介記事で書かれているような「議論の修行の場」は、ウェブにあると考えたわけだ。 結局のところ、「議論の修行」ってのは、「レベルの高い議論」の中で自分の力の足りなさを痛感しながらも、 それに追いつくために自分の力を蓄えていくことで達成できるんじゃないのかなぁ。 うーん、なんかあんまり言えてない?
僕は何を考えるべきか。僕は何をここで書くことができるのか。僕はどんなところで勝負できる人間なのか。 いまいち整理がつかないのだけれど、とりあえず今僕は、こんなことを(真面目に?)考えてます。
ところで、この話に関係あるような関係ないような話だけれど、 宣伝会議社の「人間会議」という雑誌を買って、読んでみることにした。 この出版社 (*1) の出している もう一つの似た雑誌「環境会議」については、当ブログ内2005年11月10日の記事 「雑誌「宣伝会議」を購入」 の途中で少しだけ触れた。 これと同じく、今回買った「人間会議」という雑誌はボリュームが多い。 ただそれがお得だったかどうかと聞かれると…。
- (*1) この出版社
- 宣伝会議社のメインが出版業なのかどうかは知らないので怪しい表現だが、一応出版社という扱いで。
雑誌の副題は「豊かさの新基準」ということで、「豊かさとは何か」というか、 主に「豊かな生活を送るためにはどうするべきか」ということを説く文章がほとんどで、 いわば「自己啓発本」の類に入るかと思う。 正直な所、僕は最近の「自己啓発本ブーム」に対して、 常々「そんなもの買って読む人なんて、どうせ自分で自分の最適な生活を見つけることが出来ないような人間なんだろうから、 その本の著者が儲かるだけで、買った人には何の得も無いんじゃないの?」と批判的な考えを持っていた。 そんな中で、自分もそういう人間の仲間入り…。
じゃなくて、こういう本も、自分のやるべきことを考えるための教科書として重要なのかも。 好き嫌いせず、いろんな本をかじってみるのは大切なことだなと思った。 自分の役に立たないようなものであれば、読み流してしまえば良いだけの話だし。 まぁ財布の問題もあるから、図書館を利用しつつ。
論点の見えない文章にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございます…。 特に前半部は酷いなm(__;)m
(当ブログ "about me + this weblog" カテゴリ 内の記事です)
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